ネガティブ思考でHSPの人生どん底ブログ

自分の今まで体験した不幸体験などを綴っていきます。コミュ障・対人恐怖症・社会不安障害・HSP・うつ病などを体験し、生きづらい日々を送る人生。この人生から脱却できるのでしょうか。

学生時代(中学いじめ編)

中学生になってからも、同級生ミーヤンのいじめは続きました。

 

更にプラスして、中学生からは1つ年上の先輩からもいじめられるようになりました。

 

先輩で嫌がられをしてきた主要人物はこの4人でした。(全て仮名です)

アキ

ハルミン

ミポリン

エーリン

ちなみにこの4人以外にも嫌がらせは受けましたが、特にこの4人が酷かったです。

 

エーリン以外は、同じ部活でした。

人数が少ないため、部活も2つしかありませんでした。ミーヤンと離れる為に、ミーヤンがいない部活を選びました。

それが仇となり…今度は部活で先輩から嫌がらせを受け続ける事になりました。

 

部活は同級生Aと2人でバレー部に入りました。

まずはじめにやられたのは、無視でした。

Aには挨拶を返していましたが、わたしが挨拶しても無視でした。

 

入部して早々に、ミポリンから強烈なアタックを顔面に叩き込まれました。

当時メガネをかけていたわたしはメガネが吹っ飛び、怪我をしました。

ミポリンは、コーチの手前

「ごめんねぇー手元が狂っちゃってw」

と半笑いで言い、ほかの先輩部員と共に陰で笑っていました。

 

それからも主にミポリンとハルミン、アキの3人がボール拾いをする私めがけてサーブやアタックを打ち付けてきました。(コーチには分からないように)

 

わざと私にだけ重要事項を伝えなかったり(同級生Aが教えてくれましたが)、物を隠したり…有る事無い事悪口言いふらされたり…陰湿な嫌がらせを、受け続けていました。

 

部活が違い関係のない先輩エーリンにまで、悪口や嫌がらせをされ…先輩のクラスの男子からも悪口言われ…(アキが私の悪口を吹き込んだ)

更にミーヤンからの嫌がらせも続き…精神的に参った私は、一度だけ学校に行くのが嫌で、行く途中で座り込み隠れて時間を潰した事がありました。

するとまさかの警察沙汰になっていましたΣ(゚д゚lll)

 

警察に発見され、自宅に連れ帰られ、親に叱られ…学校でも問題になりました。

すっかり心が折れた私は1週間学校を休みました。

 

1週間後に部活に行くと、無視はされなくなりました。どうやら警察沙汰になった事で、部活の先生から先輩たちは注意されたようです。

それでも態度は物凄く悪かったですが…結局先輩達が部活を引退するまで、多少マシになりましたが、陰での嫌がらせは続きました。

 

 

中学時代は、ミーヤンと先輩達に散々いじめられた記憶しかありません。

 

 

 

 

 

因みに後日談。

大人になりミーヤンは、色々な経験を経て人の痛みが分かるようになり、良い人になりました。

 

先輩のアキは、大人になっても変わらず…

「リネルルに会ったが、無視された。アイツは調子に乗ってやがる。」

とまわりに言いふらしていたらしい。

(幼馴染に聞いた)

当時私は地元から離れて暮らして居た。

アキになど会っていないのに…

勝手に人違いをしたのか、私がホントに気がついてなかったのか知らないが…勝手な作り話で、私の悪評を広げ回る意味が分からない。。

 

性格がひん曲がった人間は大人になっても変わらずなんだなっと思いました(笑)

 

学生時代(小学生のいじめ編)

小学校、中学校と学生時代も悲惨なものでした。

 

私の学校はど田舎にあったため、生徒数もとても少なかったです。

1学年、10人に満たない学年もありました。

(今現在は廃校しています)

 

ジブリのトトロに出てくる学校みたいなイメージです。家も似たようなかんじです(笑)

 

そんな田舎なら、都会の様ないじめなんてないように思えますが…小さいコミュニティこそ、いじめはしっかりありました。

 

私がいじめにあったのは、同級生の女の子と先輩達からです。

 

小学生時代は同級生でクラスのボスだったミーヤン(仮名)から、受けました。

私の学年は女子は4人だけ。

ミーヤンはボス。

手下にA。

もう1人がB。

そして私。

 

Bは、クラスの男子からも除け者にされ、ミーヤンからもいじめにあっていました。典型的ないじめられっ子。因みに私はBとそれなりに仲良くしていました。

 

Aは立場的には私と同じ。

ミーヤンに仕方なく従う感じ。

ミーヤンに逆らえば、無視され孤立させられました。有る事無い事バラまかれ、親や先生に叱られたりもしました。

私もAもミーヤンの機嫌を損ねないように気を使う日々でした。

 

私にとって一番の苦痛は、テストで良い点を取れなかった事です。

AとBは、学年でも飛び抜けて秀才でした。

私は中間くらい。ミーヤンは最下層の成績でした。

ミーヤンは、自分が最下層なのが嫌で私を巻き込みました。。。

テストで私がミーヤンより良い点数を取ると、クラスの皆んなを巻き込み私を完全無視で孤立させました。

「私より良い点数を取ったら〇〇やでな!!分かったな!?絶対に悪い点を取れよ」

と脅されました。

 

私は異常に孤立を恐れる体質でしたので、ホントに嫌で悲しくて辛かったのです。

 

それから中学校卒業まで、私はテストをわざと間違えて提出しました。ミーヤンより悪い点数を取る事だけに集中し、ただただ恐怖の対象のミーヤンの機嫌を損ねないように尽くしました。

 

自宅では成績の悪さに、兄と比較され母に叱られ、学校でもミーヤンより頭が悪い子を演じなければならなくなり、次第に勉強をする事に意味を感じなくなりました。

 

最終的に、高校は最下層の高校にしか行けなくなりました。母に泣きつかれました…〇〇家の恥さらしと叔母にも言われました。。。

 

自宅も学校も…私に取っては地獄でした。

休まる場所はなく、常にまわりに気を使い、自分を抑えこみ、罵倒に耐え続ける…そんな学生時代でした。

 

長くなるので中学編は後ほど。

親族について(叔母B編)

[叔母Bについて]

 

叔母Aとは違い、叔母Bは温厚な性格でした。

子供の頃は、叔母Bの事が大好きでした。

母よりも叔母Bに懐いていました。しかし後に叔母Bの裏の顔を知ることになるのでした…

 

我が家は、祖父のせいで、外食はもちろん、何処かに家族で出かける事はありませんでした。

しかしそんな私を不憫に思ってか、叔母Bは自分の家族と一緒に私を色んな所に連れて行ってくれました。

叔母Bには、息子が2人いましたが、その2人とも仲が良かったのでホントに姉弟のように遊んでいました。

アクティブで、いつも外に遊びに出かける叔母Bの家の子にさえなりたいと思いました。

 

叔母Bは、口がうまく仲裁もうまかったので、唯一祖父を手なづける事が出来ました。

祖父には大変好かれていました。

祖父と叔母Bが一緒に暮らしたら良かったのに…とさえ思いました。

 

叔母Bは、仕事やら離婚やらで、住居を点々としていました。そのせいで転校も多く、長男が引きこもり化をしてしまいました。

それから現在まで、ずっと引きこもりです。

 

多分その頃から叔母Bも、少しおかしくなってきたのかな?

 

叔母Bの中で、絶対的な考え方がありました。

それは、親族の中で一番の出来損ないの子は、リネルルだから、自分の長男は最下位ではない!!リネルルよりは長男は全然マシだ!!という自信です。

 

兄も叔母Aの子供たちも、頭がよく秀才なので、比べても敵わない。唯一比較できるのが私で、私は母や叔母達の中では、出来損ない呼ばわり。

つまり自分の長男の方が断然上!という考え方らしいです。

 

私も当時、母からは勿論、叔母達からもイトコ達からも散々けなされ続けてきたので、自尊心などは全くなく、何を言われても「私は何も出来ないクズなんだ…」という思い込みがあったので、受け入れていました。

 

 

叔母Bの態度が急変したのは、私の結婚が決まった時でした。

その少し前から、ある出来事をキッカケに少し叔母Bに不信感を抱き始めていました。

 

私は入籍をしてすぐ、妊娠しました。

結婚式は安定期に入ってからということで、招待状を叔母Bにメールで送りました。ついでに妊娠の報告もしました。

 

…がいつまでたっても、返事がありません。

さすがに人数の把握が出来ないと困るので、電話もしましたが、出ませんでした。

 

と思ったら、いきなり我が家へアポなしでやってきました。お土産を持ってきたとかで…

結婚式を出席するかどうか直接聞いたら、

「するに決まってる!結婚式中の祖父の面倒は私が全て見るから任せておけ!」

と言われました。この時も目が全く笑っていませんでした。

 

しかし、結婚式当日…叔母Bは出席はしましたが、祖父の面倒など見ずに、ずーと外でタバコを吸っていました。集合写真にも仏頂面で嫌そうな表情をしていました。

とにかく四六時中不機嫌…結婚式にあんなに嫌そうにしている人を初めて見ました。。

 

からしたら、大好きだった叔母だし、祝福して貰えると思っていたのに…実際は真逆。

祝福どころか、憎くて仕方なかったようです。

 

主人にも私の悪口を散々吹き込んだそうです。

出産が近ずく私に

「お前なんかが子供を育てられる訳がない!産むな!虐待死させるに決まっている!!」

とも言われました。

 

生まれた赤ちゃんを見て

「ブサイクすぎる!酷い顔だ。可哀想に」

と…我が子まで貶されました。。。

 

とにかく叔母Bは、態度が豹変…会えば酷いことを平気でヅケヅケと言いました。

 

さすがに耐えられなくなり…主人の転勤で引っ越す時に携帯の番号を変え、一切叔母と連絡を取れないようにしました。

それでも実家に帰るとタイミング悪く出会ってしまい…また散々貶されました。。

 

最終的には、私の母と叔母Bはある事件をきっかけに不仲になり、叔母Bは実家に近寄る事がなくなったので、会うことがはなくなりました。

 

叔母Bが豹変した理由…それは

私が結婚、妊娠した事で、自分の長男より私が優位に立ったと勝手に勘違いした事だと思います。

 

長男に最強のコンプレックスを抱いていた叔母。

しかし私と言う出来損ないがいた事で、自分の長男より下の人間がいると安心していた。

そして出来損ないの私が結婚できる訳がないと思い込んでいた。

しかし私が結婚した事で、私が長男より先に進んでしまったと勝手に思い込み…悔しくて仕方ない。

怒りや悲しみの矛先は全て私にぶつけられました。

 

叔母Bも精神的に病んでいたんだと思います。

長男が引きこもり….働かず金だけ要求し、気に入らなければ家を破壊。。。

そんな生活の中、私よりは長男はマシだという思い込みで、保っていた精神が、私の結婚により破壊された。

 

叔母Bには、小さい頃からお世話になっていたけど…最後にこんな仕打ちを受けたら、さすがにもう普通にするのは無理です。

 

結局叔母Bからも最終的には攻撃を受け…更に心が傷つけられました。

私の親族には、私を傷つける人間しかいませんでした。

 

それが今の私の基盤を作ってしまったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

親族について(意地悪な叔母A編)

 

親族に母の姉妹が2人います。

叔母Aと叔母B。

仲が良いのか、いつも我が家に遊びにやってきました。

それなりに仲は良く、交流は盛んでした。

私も片方の叔母には懐いていたし、好きでしたが…大きくなるに連れて、少しづつあれ?っと思う事が増えました。

色々あり結局、2人の叔母とは決別し、わたしだけ縁を切りました。

 

私の自身の無さは、この叔母達に散々けなされた事も原因の1つだと思います。

そんな叔母についての怒りを吐き出したいと思います。

 

 

[叔母A]

 

叔母Aは、ハッキリいって親族の中で一番祖父の血を色濃くついでいます。

とにかく強烈な程に気が強い!

今までの人生で叔母Aほど気が強い人間は見た事がありません…

人の意見など聞きません。自分の意見を押し通し、反攻したら潰します。

嫁に行って、姑と気が合わず…嫁いびりではなく、姑潰しをしました。

姑も最後には、この嫁には何も通じない、黙って従うのが正しいと思ったらしいです。

 

私はこの叔母は初めから苦手でした。

キツすぎるし、会えば何かしら言われるからです。

小学生の時には

「お前は性格が悪すぎる」

中学生の時には

「お前は根暗だ。」

社会人では

「お前はただのナマケモノ

結婚後には

「お前なんか死ねばいい」

など…

散々けなされました。この叔母には、人の気持ちを考えて喋るという事が出来ていない人でした。

 

叔母Aと縁を切るきっかけになったのは、私が第一子を出産して数ヶ月後の事でした。

実家に、私の家族と兄の家族が帰省している際に尋ねてきて、何を思ったのか…私の子育ての仕方を頭ごなしにけなしてきたのです。

 

お前は全てが間違っている。お前に育児は出来ない。私のいう通りにしなさい!お前なんかが子供産むなんて、子供が可哀想。

散々の言われようでした。

 

いつもなら我慢します。反抗しても無駄だから。

しかし、産後で寝不足、まだ不安定な精神な時だったので、我慢出来ませんでした。。

「なぜ貴方にそこまで言われなくければ、ならないのですか?なぜ貴方に育児の口を出されなければいけないのですか?」

 

私の反抗に叔母Aはブチキレました。烈火の如く、大声で怒鳴り、けなし…最後には

「お前なんか生きている価値がない。さっさと死ねよ!」

とまで言われました。

 

いい大人が吐くセリフですかね?

 

しかも母や兄も、叔母Aを止める事も出来ず…私は延々に罵倒され続けました。

風呂から出てきた主人が、やっと仲裁に入り止めてくれました。

 

それからも、何事もなかったように、うちの実家でお茶を飲み15分ほど滞在して、帰り際にはうちの主人に「さよならー」と笑顔で手を振って帰ったのです。

みんな呆然でした。。あれだけの事を言っておいて、よく居座ったなっと。普通の精神では出来ないことだと。。

 

この日を境に私はこの叔母Aと縁を切りました。

母もさすがに娘をボロクソけなされて、いい気分ではなかったようで、母と叔母Aも必要最低限のやりとりしかしなくなりました。

 

長くなったので叔母Bは次のブログに。

 

 

家族について(祖父編)

[祖父について]

 

祖父については今までのブログでわかるような人でした。

子供の頃は祖父がとにかく大嫌いで、憎くて仕方ありませんでした。

我が家の家庭崩壊を招いたのは全て祖父のせいだと思っています。

 

しかし祖父をこんな性格にした元凶がほかに居たようです。後に母にその話を聞きました。

 

詳しい話は知りませんが、元凶は祖父の兄です。

今も健在です。

どうやら祖父は、祖父の兄に子供の頃から散々けなされ、罵倒され、見下されてきたようです。

 

滅多にうちへ来ることはなく、私も祖父の兄には数回しか会った事がありませんが…印象は最悪です。

とにかく全てが上から目線。周りを全て見下している。全く交流がないのに、自分が知らない事があるとキレる。

あの祖父でさえも、祖父の兄の前では、ぺこぺこして低姿勢に従っていました。

 

祖父はきっと、祖父の兄にけなされ続け…自分に自信が持てないまま大人になった様です。

 

なので祖父は、お酒が入ってない状態の時は、とにかく褒め称えると上機嫌でした。上手くいくとお小遣いを貰う事も出来ました(笑)

 

自分より抜き出る人を心底嫌いました。

なので何をやらせても、器用にこなす祖母は常に祖父から押さえつけられていました。自分より出来る所を他人に見せるなっという事でした。

 

こんな祖父ですが、祖父も可哀想な人だったのだろうと思います。

それでもこんな酷い仕打ちをして、家庭内崩壊させた事は許されませんが…

 

私も祖父と同じで、けなされ続けてきたので、自身も自尊心もありません。

嫌ですが、祖父の心の奥底に眠っていた辛かった気持ちも分からなくないのです。

祖父ほどの気性の荒さはありませんが、私も内弁慶なところがあります。外面だけはいいです。

人にけなされたら、敏感に反応し、褒められたら有頂天です。

 

虐待は連鎖すると言われるように、私も祖父や母にされた事を子供にしそうで怖いです。既にそこまで酷くはないが、不機嫌だと子供に当たってしまいます…そして自己嫌悪の毎日です。

この不幸の連鎖を断ち切りたいです。

 

 

家族について(父親編)

[父について]

 

父は優しそうな顔立ちで、普段はわりと温厚な性格でした。

(幼馴染からは可愛い父ちゃんと言われていました(笑))

お酒が入ると豹変しましたが…

 

父は強がっていましたが、とても気が弱い人だったんだと今なら分かります。

 

父は手に職を持っていましたが、職場を転々としていました。

普段は温厚でしたが、叱られたりすると、カッとなって辞める!!ってなる性格だったようです。

多分コミュ障もあったんじゃないかな?人間関係も上手く行かなかった様でした。

 

昔は今ほど飲酒運転などに厳しくなかったため、父はよく仕事帰りに酒を飲んで帰る事が多く、単独事故も何度か起こしていました。

自宅に帰っても祖父が罵声を浴びせるし、居場所がなかったんだと思います。

 

大好きな釣りも自由に行かせて貰えず、家に帰れば祖父に絡まれ、仕事も上手く行かず…父も辛かったんだろうなと思います。

 

父は私に当たり散らす事はなく、ストレス解消はお酒に溺れる事でした。

父の事は母よりは好きでしたが、酒を飲むと豹変するのでお酒は大嫌いでした。

 

ある日…完全に酔っ払っていた父。

その日は母も外回りで夜家に居なかった時、完全に出来上がった父は祖父への憎しみを口に出して言っていました。

私がなだめるように、大声出すと祖父が起きてくるからっと言った言葉が悪かったのか…

突然キレだした父。

私に向かって

「お前さえ居なければ、今すぐジジィをぶっ殺してやる!!お前が邪魔だ!死んでしまえ!!」

 

もうね、このセリフは一生忘れない。

酔っ払ってキレていたとは言え、実の父親に死ねって言われる辛さは計り知れない。

もう耐えきれなくなって、その場で泣き崩れました。

 

私が泣き出した事に、逆上?した父は祖父の部屋に行き襲撃。

またまた警察沙汰になる殴り合いになりました。

 

あれから20年以上の月日が経ちましたが、今だにあのセリフは忘れられません。

 

次の日には父は、自分が放った言葉を忘れたようにコロッと変わり私に普通に話しかけてきました。

しかし、私の心に刻まれた傷は今も癒せません。

 

そんなこんなで、父も母も我慢の限界になり、結局離婚しました。

これで父も祖父の呪縛から解放され、好きなように生きて行けるだろう…と思いましたが、離婚の1年後に父は他界しました。まだ40歳という若さで。

 

父の死を聞いた祖父の一言

「死んで清々した!」

 

…本気で殺意が湧きました。

少なくとも父を亡くした子供の前でそんなセリフが吐ける神経がおかしい。

 

父の死はやはり今思い出しても辛いです。

やはり親への感情というのは、強いもんだと思います。

 

家族について (母親編)

[母について]

 

私にとって母は、とても厳しい人で子供の頃は大嫌いでした。

それでも離婚してからは、私たちの為に必死に働いてくれました。

大人になってからは、職を転々とし安定しない私を支援してくれて、とても感謝しています。

 

しかし、更年期障害時には、私に非がなくとも八つ当たりで怒鳴り散らし、まるで祖父のようになりました。

子供時代に母からの愛情を受け取る事がなく、けなされる事はあっても、あまり褒められる事がなく…

私がうつ病を発症した時は、叔母たちと一緒になって、「怠け者なだけだ!」と責め立てられました。

とても辛かったです。。

 

 

母はフルタイムで働き、夜も外回りの仕事をし、ホントに多忙な日々だったと思います。

家事は全て祖母がやっていたので、仕事に集中できたのでしょうが。。

休みの日に何処かに連れて行って貰ったり、家族で外食などほとんどなかったです。

 

母は厳しい人で、人目を気にして、少しでも他の人と違うことをすると、厳しく叱られました。

 

一番辛かった事は兄との比較でした。

兄は大切に育てられました。母は兄を先生にする事を夢見ていました。

なので兄はひたすら勉強ばかりさせられていました。なので兄は学年で3位以内を常にキープする秀才でした。

 

逆に私は放置されて育ちました。

運動が大好きで、勉強は嫌いでした。

成績も良くありませんでした。(この理由はまた後ほどアップします)

 

兄と喧嘩をすると、どんな理由であれ私が悪者にされました。

理不尽な事で叱られたこともあります。

 

忘れもしない出来事があります。

秀才で優秀、親に刃向かう事なく良い子だった兄が、唯一一度だけ母にワガママを言った事があります。

ある物を欲しがったのです。しかし、それは当時それなりに高い物でした。

兄は泣きながら母にお願いしていました。

母も困りました。良い子の兄に買ってあげたいが、値段が高い…悩んでいましたが、結局買わなかったです。

そして何故か怒りの矛先が私に向いたのです。

母は私を責め立てました。お前のせいで兄がこんな風になったと…

兄が欲しがった物は、私が当時好きだった漫画のグッズ。私はその漫画を読んでいただけです。

 

母曰く、

「お前がそんな漫画を読んだせいで兄がおかしくなってしまった!反抗などした事のない兄をお前が変えてしまった!責任とれ!!」

 

この時はあまりの理不尽さに本当に意味が分かりませんでした。なぜ私のせいなのか?当時小学3か4年生くらいだった私には悔しくてたまりませんでした。

 

 

そんなこんなで常に兄と比較され、出来の悪い私は、いつも悪者扱い。

母親以外にも母の妹2人(叔母)からも、出来損ない攻撃を受け…「私はダメな人間なんだ」と自尊心がない人間に育ちました。

 

※後で母の妹たち(意地悪な叔母)についても書いていきます。

 

母も祖父のせいで散々苦労しています。

フルタイムで働き、土日も農家の仕事…休みなく働かされ、毎日祖母や父を罵倒する祖父を止めに入ります、壮絶だったと思います。

その多大なストレスは…全て私に来ました。

兄は滅多に叱られません。私は些細な事でも、母の気に触ると怒鳴られました。

 

母に対して一番苦しかった時期は更年期障害の時です。もうめちゃくちゃでした。

私が関係していない事でも怒鳴りつけました。

自宅にいなければ、携帯に電話をかけてきてまで罵声を浴びました。

 

〇〇が壊れた!なんとかしろ!!!!

お前がいないせいで、〇〇だ!!

何をしている!今すぐ帰れ!!(用事もないのに)

熱がでた!お前のせいだ!!!

雨が降った!お前のせいだ!!

 

気に入らない事は全て私の責任だという事になっていました。

本当にこの更年期障害の時期は、今までの人生で母親に対しての嫌悪感はMAXでした。全てが理不尽でした。なにかをしてもしなくても、悪い。

自宅に居てもいなくても悪い。

もうどうしようもなくなった私は一時的に親戚の家に逃げました。。。

 

この時期は母も精神が狂っていたと思います。

母はこの時期、仕事で嫌がらせに会い、左遷され…全く知識がない仕事、男性と同じ仕事をやらされていました。

母も気が強いのが仇となり上司にイビられていたそうです。それでも食って掛かり更に酷い目に。。。

 

更に祖母の他界により、祖父を憎み、自宅では祖父と母の罵声の浴びせあい。

 

母は、更年期障害に加え、仕事と人間関係のストレス、祖父のストレスを全て私にぶつけました。

そうしないと精神が保てなかったようです。

母もとても苦しかったと思います。

しかし私もサンドバッグ状態で辛すぎました。

 

そんな事もあり、母は仕事を早期退職しました。

それからは穏やかになってきました。

祖父が脳梗塞で倒れ、介護をしていましたが、わりと早く他界した為、今では全ての荷がおりたようで有意義に過ごしているようです。

 

今は母との関係は、良い距離感を保てば良好です。

近すぎるとダメですが…(実家に長期で泊まると不機嫌になります)

 

母にはとても感謝していますが…愛情を貰えなかったこと、比較され、けなされ続けた辛い思いもあり、好きかと聞かれたら別に…って感じです。

 

何より、この私の性格を作り上げたのは、やはり祖父と母だと思います。(ついでに叔母も)

自身が持てず大人になったせいで、生きづらさは半端ないです。