家族について(祖母編)
[祖母について]
祖母はとてもこころ優しく、穏やかな人でした。人柄も良く周りからは好かれていました。
祖父にこき使われ、病気になって寝込んでも叩き起こされ、夜中も怒鳴り散らされ、休む間などなかったですが、決して祖父の悪口など言わず我慢し続けていました。
器量がとてもよく、何をしてもこましてしまう人でした。しかし祖父はそれが気に入らない。
若い頃、祖父と祖母で一緒に仕事へ行けば、テキパキと仕事をこなす祖母に嫉妬し、祖母を退職させました。
祖母は親族みんなに好かれていたので、みんなが大切にしましたが、祖父はそれが気に入らない。
誰かが祖母を褒めれば、怒り狂い祖母を罵倒しました。
祖父からの1番の被害者は、祖母でした。
子供心に何故あんな祖父と結婚したのだろう…と思いました。(昔は感情での結婚ではなく、家柄などで強制的に結婚させられていたようです)
昔、祖母は一度だけ自分の親に
「なぜあんな家に嫁がせたの?」
と辛そうに話した事があったそうです。
更に祖父の母(曽祖母)に、散々嫁いびりされたとも聞きました。それでも曽祖母が介護状態になると献身的に介護をしていました。
祖母は私が20代前半の時に他界しました。
最期は誰にも迷惑をかける事なく、眠るように亡くなったそうです。
最期まで迷惑かけずに、静かに逝くなんて、祖母らしいね…と皆んなで泣きながら語りました。
祖母の死は、私自身もホントに辛かったです。。
せめてひ孫を見せてあげたかったのに…
祖母が他界してからは、毎日祖父は仏壇に向かって暴言を吐きまくりました。
「バカヤロウ!死にやがって!ふざけんな!!?クズやろうが!!俺の世話は誰がやるんだ⁈」
祖母は年齢的には早く亡くなりましたが、祖母にとってはその方が幸せだったのかもしれません。
きっと生まれ変わったら、次こそ幸せな環境で過ごせているでしょう。
子供時代(家庭内崩壊)
物心ついた時には、毎日罵声が飛び交っていました。
我が家で一番酷い人間…それは祖父でした。
祖父は内弁慶なところがあり、外ではとても愛想よくしていましたが、家庭内では正反対でした。
ワガママで自分勝手な暴君…そんなイメージです。
元々気性が荒いようでしたが、特にお酒が入ると別人のように、怒り狂い、罵声を浴びせ、物を破壊し、暴れまわっていました。
お恥ずかしながら何度も警察沙汰になりました。
本当に手がつけられなかったのです。
一人でも十分に暴れ回るのに、更に酷くなるのは父がいる時でした。
父も普段は温厚で気弱でしたが、お酒が入ると別人になり、気性が荒くなりました。
父は釣りが趣味で、母と結婚するまでは毎週釣りに行っていました。父の地元の方からは、「鮎釣りの名人」とまで呼ばれていたそうです。
しかし結婚後は、釣りに自由に行けなくなりました。
原因は祖父です。
我が家は農家な為、土日も田畑の仕事がありました。母も父も平日は仕事に行き、土日は田畑の仕事をやらせられ、休む暇も与えられませんでした。
母も父が釣り好きなのは、よく分かっていたので、何度か土日に釣りに行かせる時もありました。
しかし…それを祖父が許しませんでした。
父が土日に田畑の仕事をしないと、祖父は怒り狂い怒鳴り散らし…、家を破壊しました。
仕方なく父に田畑の仕事させても気に入らず怒鳴りつけていました。
父も相当なストレスだったと思います。
そんな事もあり、祖父と父は険悪な関係で顔を合わせれば怒鳴り合い、殴り合い…血しぶきが飛ぶ事もありました。
一番キツかったのは、夜に母が仕事の外回りに出た時でした。
そんな日に限って、父が早めに帰宅してしまう事があり、祖父と鉢合わせて殴り合い。
祖母と私と兄で必死に止めますが、子供の力では全く敵いません。
当時携帯もなく、母に連絡もとれず…自分達だけではどうにもできず、父の実家に電話して、父の兄などに助けに来てもらいました。
そんなこんなで母も…父との仲は険悪になりました。
記憶にある父と母は常に夫婦喧嘩をしていました。
母も父も悪い訳ではないのに…
子供の頃から何度も母に家を出ていこうとお願いしました。
しかし、祖母が出ていかないと言い張り…母にとって祖母はとても大切な存在でしたので、祖母一人をおいて出ていく事は出来ないといい、結局ずっとこの家で暮らしました。
今思えば、私たち子供の事をもう少し考えて欲しかったです…こんな毎日で、正常な精神状態になれる訳がないのに。。。
私が高校3年生の冬…進路が決まり、後は卒業を待つだけという際に…
ついに母と父は離婚しました。
離婚に関しては、もっと早くしたら良かったのに…と思っていました。
しかしタイミングが悪かった。。。
私は卒業後、専門学校への進学が決まっていました。しかし離婚により、学校へ行くお金が厳しくなりました。
先生に事情を伝え、必死に就職先も探しましたが…時期が悪く見つかる訳もなく…今から進路変更は厳しいと言われ、結局専門学校へ行くしか道がありませんでした。
貯金を切り崩し、何とか学校に出してくれた母には今でも感謝しています。
祖父はというと…父が出て行ったのに、それでも酒を飲むと怒鳴り散らしていました。
私が一番はじめに買って貰った車は、祖父が鉄パイプでボコボコに殴った為、廃車にされました。
結局、私が家を出た後も、気性の荒さは脳梗塞で倒れるまで続きました。
その前に酒の飲み過ぎで、体を壊し禁酒制限がされたので、飲まなくなりましたが、相変わらず気性が荒く怒鳴り散らしていました。
結局祖父が倒れて寝たきりになるまで、祖父の言葉の暴力は続きました。
祖父にズタボロにされた祖母は先に亡くなってしまいました。
父も離婚後、一年後に他界しました。
私からしたら2人の家族の命を祖父が奪ったようで…憎くてたまりませんでした。
我が家の家庭崩壊の原因は祖父です。
しかしこんな酷い祖父でしたが、こんな性格になったのには、訳があったようです。
また時間がある際に祖父の過去についても書きたいと思います。
赤ちゃん時代(母から聞いた話)
我が家はど田舎で、貧乏な家でした。
なんとか最低限の衣食住は、出来ていました。
当時、曽祖母、祖父、祖母、父、母、兄、私の7人家族でした。
父は母の実家に入ったので、マスオさんです。
父の給料が安定していなく、母が働きに出なければ生活出来ませんでした。
母の育児休暇は1ヶ月だけ。
私が生後2ヶ月には、母は仕事へ復帰していました。
さらに私は哺乳瓶を全く受け付けず、母乳しか飲まない赤ちゃんだったそうです。
つまり…母がいなければ、何も与えられない。
水分補給さえも出来ない。
母は昼休憩に一度自宅に戻り、その際に母乳を与えただけだそうです。
母が仕事に行く前、昼休憩、帰宅後…3回だけしか食事(母乳)を与えられませんでした。
赤ちゃん育てた方なら分かると思いますが…、こんな回数の母乳では全然足りません。
今の時代なら確実に育児放棄、栄養不足と言われるでしょう。むしろ虐待を疑われるかな?
よく生きていたな私…と今なら思います(笑)
更に母はフルタイムで仕事、土日も我が家は農家だった為、田んぼや畑仕事などをやり、ほとんど私と過ごす時間はありませんでした。
私の世話は、曽祖母(ひいおばあちゃん)がしていたようです。
泣きじゃくるので、ずっとおんぶされていたとか。お腹すいてるからそりゃそうだわな。。
今更ながら、私は赤ちゃんの時から色々可愛そうだったんだなって(笑)
まぁ、母が悪い訳ではなく、仕方ない状況だったからなんですが。。。
そんな赤ちゃん時代を過ごしながらも、なんとか成長していったようです。
ブログ始めます!
始めまして。
リネルルです。
子供時代から辛い人生を歩み、今現在も不幸の真っ只中( ;∀;)
一体いつになれば、幸せ…とまでは行かずとも精神的に平和な日々が送れるのか。。。
ブログを始めたきっかけは2つあります。
1つ目は私のブログを読んで、自分より不幸な人がいると安心して頂けたらと思いました。
人の不幸は蜜の味です(笑)
2つ目はこのブログを書き続けているうちに、いつか幸せな日々が訪る事があれば、同じように苦しんでいる方の励みに少しでもなれば…と思い始める事にしました。
(ずっと不幸のままかもしれませんが(笑))
私にとっては、人生のどん底でも他の方にとっては、たかがそれくらいで…と思われる方もいるかもしれませんが、人それぞれ感じ方も価値観も違いますので、誹謗中傷は勘弁して下さい。
簡単に自己紹介をします。
名前→リネルル
年齢→30代半ば
職業→主婦
家族構成→夫、長男、長女
メンタル→絹どうふ以下
長所→家族以外には優しい(ただ気弱なだけ)
短所→根暗、コミュ障、ネガティブなど
簡単な人生紹介
赤ちゃん時代→育児放棄
子供時代→家庭内暴力(言葉の)
学生時代→いじめ
社会人→嫌がらせ、いじめ、仕事を点々、うつ病
結婚後→夫婦仲険悪、育児ノイローゼ
現在→ご近所トラブルで社会不安障害に
こんな感じの人生を歩んできました!
良い時代が1つもないです(笑)
過去から現在にかけて、今まで体験した出来事を綴っていきたいと思います。